ストーカー殺人と個人情報

 ストーカー殺人事件が起こった(逗子市)。ここでは個人情報の保護というネット上の問題が関係する。

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 ストーカー殺人事件が起こった(逗子市)。その前に、次の事情があった。

 警察は去年、男を脅迫の疑いで逮捕した際、逮捕状に書かれていた女性の結婚後の名前や住所の一部を読み上げていたことが分かりました。
( → NHKニュース
 ではなぜ、「名前や住所の一部」を知っただけで、本人を突き止めたのか? ネット上を利用して情報を集めたらしい。
 (被害者の)三好さんは結婚してもメールアドレスは変えなかったが、(犯人の)小堤に住所は知られていなかった。それをどうやって探り当てたか。小堤が使ったのはインターネットの「質問掲示板」だった。ここに小堤は「昔、お世話になっている人を捜しています。逗子市○○に住んでいるらしいのですが、詳しい住所がわかりません。もしご存知の方がいらっしゃったら連絡してください」と書き込んだ。
( → J-CASTテレビウォッチ:とくダネ
 また、次の情報もある。
 昨年 11月には、別の掲示板に、同様に三好さんの夫の名を上げて「強制わいせつの犯人を捜しています」「逗子市在住ということは判明していいるのですが、住所の詳細はわかりません。どんな些細な情報でも構いません」と書かれていた。
( → 朝日新聞・夕刊 2012-11-09 [紙の新聞] )
 まったく、悪賢い奴だ。

 ──

 上記では、二つの問題がある。
  ・ 警察による個人情報の漏洩
  ・ 掲示板による個人情報の漏洩

 後者は、犯人が死んでしまった今では、真相を突き止めるのは困難だ。とはいえ、そういうことがあったと十分に推定できる。

 ともあれ、この二点に共通するのは、「個人情報の漏洩」だ。この問題を、きちんと理解することが大切だ。人は安易な発想で個人情報を暴露してしまうものだが、それは殺人にさえ結びつくことがあるのだ。特に、悪意や犯罪が絡むと、ろくなことはない。

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 さて。これと同様のことをやっているのが、NATROM氏だ。
  → NATROMの日記

 彼はここで、次のことをやっている。
 「個人の はてなブックマークについて、そのアカウントの持主の別のブログを推測して、同一人物であると推定してから、両者を攻撃する」
 ここでは「はてなのアカウント」という個人情報と、「別のブログの持主」という個人情報を結びつけることで、個人情報を勝手に公開している。

 当然ながら、その個人情報が同一であるということは、本人は明示的には公開していない。とすると、次のいずれかだ。
  ・ 両者の同一性は真実だ ⇒ 個人情報の暴露になる
  ・ 両者の同一性は虚偽だ ⇒ 誤情報による嘘だ

 いずれにせよ、犯罪または犯罪的な行為だ。
 特に、後者ならばただの「嘘つき」であるにすぎないが、前者であれば、「個人情報の暴露」になる。これは、本項の冒頭で示した「個人情報の暴露」と同様である。殺人にさえ結びつきかねないような、悪いことだ。犯罪的とも言える。

 特に、彼の文章が悪意に満ちていることを考えると、そこから悪意の連鎖が広がりかねない。
 これは杞憂ではない。NATROM氏のシンパである片瀬久美子氏がツイッターリツイートしたことで、「**はトンデモだ」という誹謗中傷が世間にひろく流布してしまった。

 実は、誰かが仮にトンデモであるとしても、その人を「トンデモだ」と呼ぶことは誹謗中傷に当たる。「トンデモだ」と呼んでもいいのは、(人でなく)思想だけである。たとえば、次のように。
 「ホメオパシーはトンデモだ!」
 一方、特定の個人の名を上げて「トンデモだ」と非難することは、誹謗中傷に当たる。これは犯罪行為だ。

 個人に対して許されるのは、学術的な批判だけである。次のような。
 「彼のこれこれの説は、これこれの点で誤りである」
 このような批判ならば、思想に対する批判であるので、誹謗中傷ではない。
 一方、個人を名指しで「トンデモだ!」と批判することは、犯罪行為なのである。この意味で、NATROM氏と片瀬久美子氏はどちらも犯罪者である。

 そして、その犯罪の種類は、冒頭の犯罪者とも共通する。それは、「個人情報を暴露する」ということをともなっている。

 一般に、ネットでは、他人の個人情報を勝手に公開することは許されない。特に、匿名のアカウント情報について、データマイニングのようなことをして、勝手にアカウントの持主を突き止めて、その結果を公開するようなことは、明白に犯罪性を帯びている。
 NATROM氏のやっていることは、こういう犯罪的な行為だ。人を攻撃することに人生の全力を書けているというようなことは、ストーカー殺人事件の犯人と同様であろう。

 NATROM氏と殺人犯の違いは、一つぐらいでしかない。それは、相手が女か男かということだ。
 逗子市の犯人は、ある女にまとわりついて、彼女を徹底的に憎んだあげく、ネット上で個人情報をうまく利用してから、彼女を攻撃した。
 NATROM氏は、ある男にまとわりついて、彼を徹底的に憎んだあげく、ネット上で個人情報をうまく利用してから、彼を攻撃した。
 どちらも、やっていることは原理的に同じなのである。その精神構造もまた同様。



 [ 付記 ]
 仮に NATROM氏のやったようなことが一般化したら、どうなるか? 次の例が思い浮かぶ。
  ・ 飲食店で客の有名人を批判した店員の個人情報が暴露された
  ・ テレビで手帳を公開した女子学生の個人情報が暴露された

 これらの場合には、些細なことをきっかけに、ツイッターFacebook などを利用して、公開された情報から、個人情報を特定して、ネット上に広く拡散した。

 これらの点では、個人情報を暴露された側に、何らかの落ち度(のようなもの)があったと言えなくもない。ところが、NATROM氏の場合には、相手に特段の落ち度がなくても、単に「自分の嫌いな相手だから」という理由だけで、個人名を特定して、その個人名を指定して「トンデモだ!」と攻撃する。
 ここでは、最初のアカウントと、最終的な個人名とには、直接的な結びつきはない。両者を結びつけているのは、NATROM氏だ。
 このような行為(個人情報を探り出したすえに攻撃すること)は、上記の店員や女子学生の「個人情報の暴露」と同様である。
 そして、NATROM氏のやっていることが、一般的に正当化されたなら、一般の市民の個人情報はきわめて危機にさらされる。あなたの情報もまた、いつかは NATROM氏のような偏執的な人物に狙われて、暴露されるかもしれない。そのあとで、ストーカーみたいな連中に狙われて、殺害されるかもしれない。

 このように個人情報を勝手に暴露することは、やってはいけないことだ。たとえいったんネット上に公開された情報だとしても、個人情報を(本人の許可なく)勝手に暴露することは、やってはいけないことだ。次の例でも同様だ。
  ・ 美人女子店員のヌードが暴露された例
  ・ ◯◯◯ バーガー事件

 いずれにしても、個人情報を(本人の許可なく)勝手に暴露した。その点では、NATROM氏と同様である。
 このような犯罪的な行為は、やってはいけないことだ。その点、はっきりと留意しよう。

 なお、個人情報の暴露は、普通は匿名でやる。以上の例でも、犯人は匿名だ。ただし NATROM氏は堂々とハンドル名を示して犯罪的行為(個人情報の暴露)をしている。
 これは明らかにはてな」の利用規約に反しているはずだ。当然、彼ははてな」の全アカウントを抹消されるべきだ。「はてなダイアリー」も「はてなブックマーク」も、その全利用権を停止されるべきだ。つまり、彼のアカウントを削除されるべきだ。犯罪者には、罰が当然なのである。
 そのことは、はてな株式会社に要求すれば、可能だろう。
( ※ その項目だけを削除すればいい、ということにはならない。全アカウントを削除する必要がある。なぜならば、たまたまのミスではなくて、常習的な攻撃行為があるからだ。仮にはてながこの要求を満たさなければ、はてなは慰謝料数十万円を払う必要が生じる。ゆえに、全アカウント削除は、必須である。)

 ただ、私としては、ここではその生殺与奪の権を、留保しておこう。私は憐れみ深いので、愚か者の愚かな行為も、おめこぼしをしてあげることがある。小さな重箱の隅にめくじらを立てるトンデモマニアとは逆に、アカウント抹消にふさわしい巨大な犯罪的行為ですらおめこぼしすることがある。
 人間というものは、自分が幸福であれば、他人をいじめて喜ぶことはないのだ。逆に、他人を攻撃して喜ぶような愚かな偏執狂者に、慈悲をかけることができる。
 



 [ 余談 ]
 お口直し。



 こんな美人がいるんですね。知らなかった。日本のタレントなどの美人はたいてい知っているつもりだったが、埋もれていたなかにこんな美人がいたとは。びっくり。

 詳しくは
  → 出典(藤本泉)
  → Google 画像一覧
 
 世の中には、他人を攻撃する人もいるし、癒してくれ人もいる。悪魔のような人もいれば、天使のような人もいる。  (^^);

 
 

ホメオパシーはトンデモでない!

 「ホメオパシーはトンデモだ」という主張もあるが、「ホメオパシーはトンデモではない」という主張も成立する。トンデモマニアの見解に従えば。

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 「ホメオパシーはトンデモではない」 …… (*)
 という主張が成立する。トンデモマニアの見解は正しいと前提とすれば、だが。
 以下で証明しよう。
 
 ──

 まず、トンデモマニアの二つの見解を並べよう。
 (i)「ホメオパシーはトンデモである」
 (ii)「専門外のことを論じる素人はトンデモだ」

 さて。トンデモマニアは、ホメオパシーの専門家か? もちろん、違う。医学の専門家であることはあるが、ホメオパシーを信じていないのだから、ホメオパシーの専門家であるはずがない。
( ※ 反ホメオパシーの専門家だとは言えるだろう。しかし、ホメオパシーを否定しているのだから、ホメオパシーの専門家であるはずがない。医学を否定する人が、医学の専門家ではないのと、同様だ。)

 こうして、次のことが成立する。
 「ホメオパシーの専門家でもないくせに、ホメオパシーについて論じている」

 こうして、彼は (ii) に合致するので、彼はトンデモである。素人のくせに、専門分野について(批判的に)論じるからだ。  (^^);

 そして、彼らがトンデモであるからには、彼らの主張することは間違いである。つまり、(i) は間違いである。
 かくて、
 「ホメオパシーはトンデモである」
 ということが否定されるので、
 「ホメオパシーはトンデモではない」
 ということが成立する。こうして、冒頭のこと (*) が証明された。  (^^);



 [ 付記 ]
 で、結果的に、何がわかるか?  (*) が正しいことか?
 いや、 (*)とその否定とが、同時に成立することが、だ。つまり、矛盾が生じるということが、だ。

 本項からわかる真理は、 (*) のことではなくて、
 「トンデモマニアの見解は自己矛盾に陥っている」 
 ということである。

 これは論理遊びみたいなものだが。

 
 

片瀬久美子による誹謗追従の拡散

 私への悪口をツイッターで RT した有名人がいる。
   → 片瀬久美子 (kumikokatase)

 で、その悪口が拡散されて、ツイッター上にデマがひろがることになった。
 これについて本人に警告して、悪口の RT はやめてほしい、と頼んだところ、返信するかわりに、私をブロックしてきた。呆れた。
 一般に、次の二点は誹謗中傷に当たる。犯罪だ。
  ・ 個人名を記してネット上で攻撃すること。
  ・ しかもその根拠が虚偽であること。

 片瀬久美子氏は、このような犯罪をしており、しかも犯罪を是正しない。私としては、女性を攻撃する気はないので、前にもいっぺん同様のことがあったが、めくじらを立てずに看過しておいた。
 しかし、今回またしても同様のことがあったとなると、こういう犯罪行為を看過できない。特に、氏のフォロワーが多大であり、影響力が強いことも考えると、私についての間違った個人攻撃を流布させることを無視できない。
 彼女は自分のやっていることがわからないのだろうから、私が例示して示す。次のツイッターと同様だ。


usotwi.png

 ここでは、上記の二点が成立している。つまり、
  ・ 個人名を記してネット上で攻撃すること。
  ・ しかもその根拠が虚偽であること。
 だ。
 こういうデマをネットに書くことは、やってはいけないことだ。また、発言をした人だけでなく、発言を RT した人も同罪だ。「自分はよくわからないで RT しただけだ」という弁解は成立しない。それが虚偽であるかどうかに関係なく、「個人名を記してネット上で攻撃すること」をやっているからだ。その内容の真偽について確信が持てないのであれば、「個人名を記してネット上で攻撃すること」をやってはいけない。また、やったならば、同罪となる。「真偽については知らなかったから」では通らないのだ。
 また、警告を受けたあとで、何ら謝罪せずに相手をブロックするということも、犯罪性と悪意のあることを明確に示す。つまり、片瀬久美子氏は、犯罪者なのだ。

 ここでは、彼女の氏名を上げて、個人攻撃をしている。私は、NATROM氏ではないから、ネット上で個人攻撃をすることは、原則としてやらない。ただし、ことさら悪意を持って、多大な影響力を駆使して、私に対する個人攻撃をする人は、別である。片瀬久美子氏は、巨大な影響力を持って、私に対する誹謗中傷という犯罪行為をしている。それゆえ、彼女の犯罪性をここに明らかにしておく必要がある。
 ※ ただし彼女から謝罪があった場合には、この箇所を
   削除する予定だ。しかし、謝罪することはないだろう。
   なぜなら二度までも、謝罪を拒否しているからだ。
   彼女の犯罪者としての悪意は、明々白々である。
 ※ 彼女に言いたいことは、こうだ。
   「わが身をつねって人の痛さを知れ」
   これを理解できないから、彼女は他人に対する誹謗中傷
   を繰り返して、平然としていられるのである。

 

武田邦彦 対 NATROM

 武田邦彦が滅茶苦茶なことを言っているというのがネットで話題になっている。たとえば池田信夫が批判している。
 → http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51746604.html

 これに関連して、次のツイートがあった。

「喫煙者が3000万人で肺癌で死ぬ人が年間5万人だから、タバコを吸って肺癌になるのは600人に1人」。武田氏の頭の鈍さはこれに象徴されてると思う。
 → twitter

 興味深いので、出典を調べたら、次の二つが見つかった。
  → http://paddington.blog.shinobi.jp/Entry/564/
  → http://d.hatena.ne.jp/NATROM/00110510

 どちらも武田邦彦を批判している。
 特に、NATROM 氏は、次のように述べている。

 仮に、「喫煙者で肺がんになる人の割合は年間600分の1」であるのに対し、非喫煙者の群で年間6000分の1であったのなら、「喫煙すると肺がんになる可能性が高くなる」という表現は妥当であると私は考える。
 これは、疫学的な比較法を示したもので、その点では妥当である。(年間値を指摘した点も妥当である。)
 しかし、武田邦彦のデタラメさの核心を示していない。その点では、もう一つのブログと同様だ。いずれにせよ、根本的な発想のレベルは、武田邦彦と同じようなものだろう。
 
 ──

 そこでまともに説明しておこう。
 「タバコを吸って肺癌になるのは600人に1人」
 そもそもこんなに甘い数字が狂っている。これを前提とした上で「非喫煙者の群で年間6000分の1」なんてものを導入しても、
  「偽 ならば 偽」
 という命題と同様で、意味がない。間違ってはいないが、意味がない。(無意味命題。)
 
 「タバコを吸って肺癌になるのは600人に1人」
 という武田邦彦の主張そのものが根本的に狂っている。この根本を否定しなくては駄目だ。
 では、正しくは? 下記に示そう。
 
 ──

 最新の値は平成20年らしいので、その数値を取る。

 死亡者数   …… 1143000人 ( → 出典
 
 死因別では  ( → 出典

  ・ 癌    …… 342963人
  ・ 呼吸器癌 ……  66849人   (呼吸器 = 気管・気管支・肺)
   その内訳
    男性  ……  48610人
    女性  ……  18239人


 この数値から言えるのは、こうだ。
 「全死亡者数 1143000人 のうち、66849人が呼吸器癌で死ぬ。その率は 6%」
 これは男女通しての値だから、男性だけを見れば、
    48610÷(1143000÷2)= 0.085
 となり、8.5 % となる。
 このあとで、喫煙者と非喫煙者を区別する。その推定値は、いい加減に推定して、
  喫煙者 …… 12%
  非喫煙者 …  1%
 というふうに推定することもできる。(いくらかのズレはご容赦)
 
 こうして得られた数値が、真の数値だ。
 「肺癌になるのは、喫煙者は 600人に1人で、非喫煙者は 6000人に1人」というふうな、そんな甘い数値じゃない。それは肺癌というものを見くびった数値だ。
 喫煙者においては、肺癌で死ぬ可能性は、 12% ぐらいある。さらに言えば、喫煙にともなって、他の内臓疾患(癌や糖尿病を含む)にかかって死ぬ率も、8%ぐらいはありそうだ。
 結局、喫煙が原因で死ぬ可能性は 20%ぐらいある。喫煙はそれほどにも危険な死亡因子なのだ。

 「肺癌になる喫煙者は 600人に1人」なんてのは、池田信夫が言う「放射線が年 200mSv でも安全だよ」というのと同様で、過剰に甘く見た数値だ。そこにペテンがある。そのペテンを指摘しなくては、武田邦彦を批判したことにはならない。



 [ 付記 ]
 私の予想:
 上記の見解に対しては、NATROM 氏が「間違いだ、トンデモだ」と批判するだろう。なぜか? 前項のコメント欄における悪口を見れば、そう推察できる。どうせまた「こいつの書くのはみんな間違いだ」と述べるだろう。(たぶん重箱の隅を見つける。)
 
  ・ 武田邦彦
  ・ 池田信夫
  ・ NATROM

 

NATROM氏の白血病記事

 NATROM氏が白血病についての記事を書いた。
  → http://d.hatena.ne.jp/NATROM/00110830#p1

 もともとは普通の場所に書いてあったらしいのだが、どういうわけか、日付の年を 0011年にして、まったく目立たないところに収納してしまった。
 たぶん、批判されるのを恐れてのことだろう、と推察する。

 ──

 読んでの感想は、こうだ。
 「とても良く書けている。これまでの NATROM 氏の記事の中では最も有益である」
 というものだ。
 NATROM 氏の記事は、ほとんどが他人の悪口ばかりで、読んでいてうんざりするのが普通だ。人の悪口を聞くのが好きな人にはいいだろうが、私はまともな人間なので、人の悪口なんかを聞いてもうんざりするだけだ。
 しかし、上記項目に限っては、まったく悪口がない。建設的な見解だけがある。これはとても有益だ。

 これに類するものとしては、「豚インフルエンザの簡易検査」の有益性をめぐる記事もあった。内容としては、あちらの方が上だろう。
 ただし、あの記事は、
 「感度が低いとしても、特異度が高ければ、陽性だと出た場合に限っては、検査を信頼できる」( → 出典
 と書けば満点だったのだが、根っこの攻撃性が出て、「こいつはトンデモだ!」と悪口を言うことが主目的になってしまった。そのせいで、論旨全体が歪んでしまった。きちんと冷静に学術的に書けば、有益な見解を示せたのに、悪口を言うことが目的となってしまったから、肝心の有益な内容が吹き飛んでしまった。

 今回の記事は、そういう悪口癖がない(他人を攻撃していない)ので、とても有益である。これをこっそり隠す必要は何もない、と言える。

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 ただし、である。穿って言えば、隠す必要はある。というのは、もう一人の NATROM氏が攻撃するかもしれないからだ。
 「学界の公式見解でもない独自意見を主張するやつは、トンデモだ!」 
 というふうに。
 実を言えば、「学界の公式見解でもない独自意見を主張する」というのは、それだからこそ有益なのである。「学界の公式見解である標準的な意見」なんて、ただの当り前のことだから、いちいち公表するにはあたらない。知りたければいくらでも知ることができる情報だ。二番煎じの話など、書く必要はない。
 一方、今回の NATROM氏の話は、彼の独自の見解であり、それだからこそ、有益だ。私としては、高く評価する。
 しかしながら、このような独自の見解に対しては、もう一人の NATROM氏が攻撃するかもしれない。そして、そう思ったからこそ、こっそりと目だないところに置いたのだろう。

 なるほど、今回の見解は、よく見れば、「トンデモだ」と批判される余地がある。「物事の本質を簡潔にとらえる」という方針は、「細かな枝葉を切り捨てる」ということだから、「細かなところを無視しており、トンデモだ!」というふうに、トンデモマニアから攻撃される余地があるのだ。実際、NATROM氏のこれまでの批判は、たいていが、そういうものだった。書き落としたところをことさら見つけて、拡大解釈して、針小棒大に取り上げて、批判する……というものだったからだ。

 しかしながら、私が思うに、もう一人の NATROM氏は、NATROM氏本人を攻撃しないと思う。だから NATROM氏は安心して、これからも、「学界の公式見解でもない独自意見」を公開した方がいいだろう。その方が世の中のために役立つからだ。
 そしてまた、NATROM氏が独自意見を公開しても、それを「トンデモだ!」と批判するような真似をする人は、他にはいないと思う。少なくとも私は、そんなことをするつもりはない。たとえアラを探せても、アラを探して批判する、というようなことをするつもりはない。

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 ついでだが、池田信夫は、次のように述べている。
 「間違っていたときはホラ吹きと呼ぶ。 RT @masason: 大風呂敷、万畳敷きの果てしなき大風呂敷が後の世で正しかった時、人々はその人物をビジョナリーと呼ぶ。」
  → http://twitter.com/#!/ikedanob/status/115342389161365504

 よくもまあ、人の悪口を言うことに、これほど熱中できるものだ。悪口を言えば言うほど、自分がさもしく見えるということに、気づかないようだ。

 私としては、そんなことをするつもりはない。誰かを「トンデモだ!」と批判して喜ぶような趣味は、私にはない。私が興味を持つものは「いかに多くのプラスを生み出すか」ということだけだ。他人のマイナスを数えている暇はない。
 その意味では、冒頭の NATROM氏の記事は、珍しく「プラス」を生み出している記事なので、高く評価したい。(そのマイナス面に目を向けよう、という気持ちはさらさらない。)
 



 【 追記 】
 こっそり、このブログにだけ書いたつもりだったが、NATROM氏の元のブログにリンクが表示されてしまった! びっくり。はてなダイアリー というのは、変な機能が付いているんだな。勝手にトラックバックが付いてしまうようだ。
 どうやったら消せるかもわからないので、放置しておく。しかし、あのトラックバックみたいなのは、私の意図ではない。本項は、こっそり書いているだけだ。
 そこで、あまり見えないように、薄色に変更しておこう。



 【 余談 】
 NATROM氏がその後、本項を読んで、コメントを書いている。
 ざっと見たが、例によってひどい悪口のオンパレードだ。学術的な批判ではなくて、ただの誹謗中傷である。
 残念なことだ。せっかくの良記事なのに、最後に悪口を並べることで、筆者がひどく下品な人間に見える。これでは記事全体の信頼度が大幅に下がってしまうだろう。「こういう人間が書いたのか」と思われるだけだ。
 せっかくの良記事なのに、自分で自分をおとしめるようなことをしているのが、かえすがえすも残念だ。

 ついでだが、私が本項で述べた「独自見解」「独自意見」というのは「独自学説」という意味ではなく、「独自のポイント整理」ぐらいの意味である。いちいち言うまでもないことなのだが。